美意識の探求

聖徳太子十七条憲法 岡野守也訳 に学ぶ

 

「礼」とはモラルである

「礼」とは強制でも脅迫でも暴力でもない

 

人間としての

あるべき振る舞い方を

自らが行う

 

という事である

 

そして、

礼儀正しい丁寧な仕方で、

目下のものに見本となるように示すのである

 

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人間とは

生まれたまま放置されたら

生きていけない存在である

 

世話をしてもらえなえれば

育つことができない

 

そしてその世話には

ただ食べ物を与えるだけではなく

教育を与えることも含まれる

 

人間は本来生まれつき持っている

 

「能力」を

 

ほとんど

 

「失った」動物であるらしい

 

 

生まれてから

教育されることによってのみ

生き延びることができる

 

たとえば、何が食べ物であり、何が毒物であり、何をしたら安全であり、何をしたら危険か等々のことを、いちいちお教わらなければ生きていけない

 

もちろん、どう振る舞えばいいかということも、教わらなければ自分のものにならないし、自分のものにならないと自分が生きていけない

 

上記引用 聖徳太子十七条憲法を読む 

 

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人間は本来持っている本能を生まれつき失っている存在であり、その理由は二足歩行による骨盤の大きさの制限、急激な大脳皮質の発達にあり、世話をしてもらわなければ、生きていけない動物であることは間違いないようです。

 

その世話には「教育」も含まれていて、どのように生きるべきかを「教育」してもらい、自分のものにすることで、人生を歩めるようになる存在のようです。

 

教育の根本に、聖徳太子は「礼」を据えているのです。これは「モラル」「美意識」「品」「粋」と同義語と考えています

 

それを生涯探求し、深め、育てることが日本の集合的無意識に刻まれているようです

 

世界のエリートは「実利主義」から「美意識」へとシフトしています

 

聖徳太子もエリートに「礼」を強く求めたようです。それは、大衆の「模範」になるという思いからです

 

また、エリートに怠けず、平等に、民のために働きましょうと、述べています

 

自分の中にある、「品」「美意識」「モラル」に従い生きる

 

世界は早急にそれを求め、AI知能の超越(シンギュラリティー)に備えています

 

その方法ははるか昔、いや日本最初の憲法にすべて記されていることに、誇りを感じるこの頃です

 

もうすこし、読み返してみようと思います